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  1. 郡山は元気です。~世界に届けたい広報紙~(福島県郡山市・菅野さん)

郡山は元気です。~世界に届けたい広報紙~(福島県郡山市・菅野さん)

3月の声を聞くと、やはり東日本大震災を思い出します。マグニチュード9.0を記録した大災害から今年でもう6年になりますが、いまだに仮設住宅にお住まいの方がいらっしゃったり、福島第一原子力発電所事故への対応など問題がたくさんあって、完全な復興にはまだかなりの時間が必要なようです。

「広報担当者インタビュー」の第六弾となる今回、その福島県の真ん中に位置する郡山市の広報担当、菅野さんにご登場いただきました。大震災の時、またその後、市職員として広報担当として何を思い、どのように仕事に取り組んで来たのでしょうか。あの日、現在、そして広報紙に込めた夢を語ってもらいました。

Uターン就職は住民と接する市役所に

――まずは自己紹介をお願いします

菅野 晃一かんの  こういちと申します。40歳です。出身は郡山市です。東京の大学を卒業後、山梨県で鉄道や遊園地、ホテルなどを経営する会社の企画や宣伝を3年担当しました。山梨で地元の皆さんとの付き合いが楽しかったので、家庭の都合で地元へUターン就職する際も、住民の方々と接する機会が多い市役所を選びました。

まず、2004年から市保健所の総務課に3年在籍後、農政課(現:農業政策課)で6年勤務し、現在の広聴広報課に移って4年目です。

家族への余裕なく仕事に没頭

――6年前の3月11日を聞かせてください。

市役所本庁舎1階にあった農政課で事務仕事の最中でした。強烈な横揺れが起こり、大きな窓が割れ、ロッカーもほとんど倒れました。職員も来庁していた市民の皆さんと一緒に屋外に避難し、呆然と立ちつくしていると、横殴りの吹雪にも見舞われました。あの時の恐怖と寒さが今でも忘れられません。内陸部の郡山は津波被害こそありませんでしたが、震度6弱を記録しました。

郡山市は、災害時の避難所機能も備えた近くの野球場に災害対策本部を設置し、24時間体制で被害の把握と対応、復旧に全力を挙げますが、本庁舎は大規模な損傷により立入禁止。各部署は翌日から市の施設に分散して業務再開に動き始めます。農政課は、郊外にある農業センター(当時)に事務所を移し、備蓄米を使って避難者への炊き出しに追われました。約1か月続きました。おにぎりも「めちゃめちゃ」作りました。

また当時、市職員は昼夜交代で割り当てられた避難所に常駐し、避難者支援と支援物資の管理をしました。私の自宅も被災して電気がつかず、水も出ない。家族は昼は車中生活、夜だけ自宅で就寝しました。私の不在時は家族も頻発する余震の恐怖と闘っていたと思いますが、私だけでなく周辺自治体の職員みんなが自宅と家族を顧みる余裕なく、目の前の仕事に没頭していたと思います。

全国からの支援に感謝

――震災直後から全国各地で義援金や支援物資を募る動きがありました。実際に支援のありがたみを感じることはありましたか?

農政課での担当は、お米のPRや物産展の担当でした。前年に収穫した米なので、原発事故の影響はありえないのですが、風評被害で売れなくなりました。そんな中、3月下旬には関東地区を中心にスーパーや自治体、商店街などから「物産展しませんか」と声をかけていただくようになりました。

2011年は2週間に1回はワゴン車に農産物を山積みして物産展に出向き、延べ30泊くらいしました。みなさんに、「がんばってね」と声をかけてもらったり、まとめ買いしていただいたことがとてもうれしかったです。

郡山市は福島県内有数の米どころです。安積あさか平野の粘土質の肥沃な土壌、猪苗代湖のおいしい水、夏の昼と夜の温度差を生かした「コシヒカリ」と「ひとめぼれ」は、ブランド米「あさか舞」の名前で知られています。もっちり、ふわ~っとした食感は高い評価をいただいています。

震災後、東京都の米穀店主さんがテレビで福島の米の安全性をアピールしていただいたことも忘れられません。日頃は無口な方の一生懸命さに、「担当者の私以上に福島の米や農家のことを思ってくれる人がいるんだ」と感激し、涙が出ました。

広報紙が県内で3年連続の最優秀賞受賞

――広報担当になってからのことを聞かせてください。

カメラは触ったことすらありませんでしたが、郡山市は以前から広報に力を入れており、自分たちで見出し付けやレイアウトもしています。

最近うれしかったのは、福島県市町村広報コンクールで3年連続で最優秀の「特選」を取ったことです。審査対象となった2016年11月号は「10年のキセキ」と題して、市の西部にある逢瀬町のグリーンツーリズムへの取り組みと埼玉県・文京学院大との交流をテーマにしました。美しいストーリーを描くだけではなく、読んだ市民がアクションを起こすきっかけにしてほしい、との願いを込めました。

広聴広報課は今、テレビやSNSなどの媒体の仕事もありますが、やはり広報紙が中心だと思います。自分のまちを好きになり、自分も何かやってみようと思えるツールになってほしいと思っています。一方通行にならないよう、できるだけイベントに出向き、住民の方を撮影し、掲載させていただいています。華やかなイメージがありますが、日中は取材に回り、夜に原稿を書く、意外と地味で実直な仕事ですね。

「忘れないで」との願い込め

――3月号では「世界とつなぐ絆」と銘打って特集を組まれていますね。どんなことを伝えたいと思ったのでしょうか?

東北の人間にとって3月は特別な月です。今の元気な郡山市の姿を見てもらうことが今までいただいた支援に対する恩返しになると思い特集を組みました。と同時に、現在「復興」という言葉を使う機会が少なくなってきています。良くも悪くも自分たちの中で風化しているのでは、と考えたりします。

忘れた方が良いこともありますが、仮設住宅にいまだに住んでいる方のことや原発事故への対応、震災をきっかけに郡山市から出て戻られていない方々のことなど、やはり終わっていない部分があります。県内に目を向けると、帰還困難区域なども多く残っています。自分も含め、みなさんに忘れないでほしいという願いがあります。

3月号で紹介しているボランティア団体の方々は震災当時は毎月、現在は3か月に1回くらいのペースで来ていただいています。子ども向けイベントとしてサッカー教室を開催したり、仮設住宅訪問などをされています。また、市内の外国人英語講師のみなさんが美しい福島の風景を知ってもらおうと自費でカレンダーを製作し、今も世界中に送っています。

――最後に市内外の広報紙読者に一言。

様々な事情で郡山から離れている方、郡山がふるさとで他の地域に住まれている方には、「郡山がんばってるなぁ」「ふるさとでよかったなぁ」と思える広報紙を、郡山に住んでいる方には、「住んでよかったなぁ」と思ってもらえる広報紙を作っていきたいですね。

 

取材:読売新聞西部本社 Copyright (C) The Yomiuri Shimbun.

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